UTA TO WAKARE.

傷ついても陽を浴びた要約がある

2017-01-01から1年間の記事一覧

佐藤さんのこと

きょう九月四日は、故・佐藤真監督の命日である。十年前の九月四日は、私は西宮の山の中にある病院の中にいた。新聞を読むことが日々の喜びであり、毎日ラジオ体操をした後は、朝刊に目を通す日々であった。退院の話が出始め、にわかに心がワサワサしていた…

同時代ドキュメンタリー作家に関する一考察(2010.8.)

「他者=他なるもの」とは、おそらく、この「わたし」に特有の体験からやってくる共感や理解をはねつけるような固有の実存を抱えた存在だろう。 梶井洋志の制作した『遺言なき自死からのメッセージ』は、そのことを強く意識させる。梶井は、父親の自死という…

寺山のこと

一と二、主体の傷。 それがタイトルである。ここ一年近く寺山修司について小論を書こうとしてきた。タイトルが一週間まえに決まった。題が決まると、茫洋としていた考えが、ある程度輪郭を持つ。持ち始める、から不思議だ。いぜんのタイトルは、その意味では…

散文という要求

韻文への態度がまだずっと牧歌的であり得た時代があったとして、そのさなかから散文への矜持と餓えを内包させていた者たちだけが、彼らの書き残したもののなかになお息継ぐことを可能たらしめている。個々の独立した詩行をひとつ、またひとつと数え上げる仕…