UTA TO WAKARE.

傷ついても陽を浴びた要約がある

散文という要求

韻文への態度がまだずっと牧歌的であり得た時代があったとして、そのさなかから散文への矜持と餓えを内包させていた者たちだけが、彼らの書き残したもののなかになお息継ぐことを可能たらしめている。個々の独立した詩行をひとつ、またひとつと数え上げる仕草が無媒介に詩史という堆積を形づくることはないが、かといって、詩の外部へと安直に繋がろうとする行為はあらかじめ詩に内部と外部があるかのような錯視なくしては成り立たない。ゆえに、詩が、詩こそがその者を遠ざける。