UTA TO WAKARE.

傷ついても陽を浴びた要約がある

翌日談

一日経ち、本日は1月9日。

朝、久しぶりに親父に会った。親父はいつも通り新聞を読んでいた。

最新のニュースで、イランの攻撃が、倉庫等に限定されており、また、事前にイラクにミサイルが着弾することを通告していたことも明らかになった。米軍に人的被害は出ていない。イラン側は、アメリカ人80人を殺害したと対内・対外的に発表している。

親父は言う。
ー全て出来レース

ハメネイは、昂った国民感情をおさめるためにミサイルぶち込んだってこと?

ーまあ、そうやろ、哲明、大国のゲームに乗るな

ーおお、うん

親父はよく分からないところもある人だが、一貫して冷静であるのかもしれない。

サヘル・ローズTwitterを読んだ時から、こりゃ冷静にならなと冷や水を浴びせられてはいたんだが。

 

最後に、もう一度はっきりと言っておこう。

《俺は、戦争は絶対に嫌だ》

因みに、家族というのはありがたいと近頃つくづく思う。
最も近くにいる他者だから。

妻が最も心を痛めているのは、中東の情勢でも、ましてやゴーンの記者会見でもない。4ヶ月以上続くオーストラリアの大火災、のことだ。動物たちのことを話題にすると、それは今はやめて欲しいと言われた。妻は涙を堪えていた。これに対しては、僕たち一人ひとりが十分に立ち向かうべきこと、立ち向かえることだと思う。今、二人で最も有効なアクションが何か模索している。

妻は言う。
ーあんた、変な原稿引き受けたら、即離婚やからな

ーわかってる、俺は詩人だから、俺には詩しかないから。散文で言えないことを表現するために、詩と出会ったから。詩は、最も遅れてくるメディウムだから。

俺は、いつだって、最後方に陣取って、必ず漏らさず《記録》していきます。詩の形で、いずれ、残していきます。何年後か何十年後かは知らないが。